2020-10-20 会津八一終焉の地 新潟 美術家いろいろ 古川巧 美術評論家 芸術学科 會津八一が、晩年の住処とした伊藤家の別邸で、小さいながら、贅沢で簡素、しかし趣深い空間です。庭の手水鉢、枯山水など、こじんまりとしながら日本情緒あふれています。 會津八一(秋艸道人・しゅうそうどうじん)が晩年の10年間過ごしたそうだ。 会津八一は、歌人でもあり美術史の研究家。 早稲田大で教えていたころ、奈良の日吉館に学生を連れて泊まっていたそうな。 そういえば、日吉館の看板の揮毫は八一によるものでした。 僕も、この日吉館は学生時代からよく利用したひとりです。 北苑芳芬とは、北向きのお庭もなかなか風情があって良いものだ、的な意味のようです。
會津八一(秋艸道人・しゅうそうどうじん)が晩年の10年間過ごしたそうだ。 会津八一は、歌人でもあり美術史の研究家。 早稲田大で教えていたころ、奈良の日吉館に学生を連れて泊まっていたそうな。 そういえば、日吉館の看板の揮毫は八一によるものでした。 僕も、この日吉館は学生時代からよく利用したひとりです。